震災から6年。「津波てんでんこ」を知ってほしい
2017.3.14
あんしん相談室の中村です。東日本大震災から6年、2017年3月13日に川崎振興会館で、震災に対する準備と対応を呼びかける公演「しんさいとかいご」が開催されました。講師として小野寺 彦宏氏(公益社団法人 認知症の人と家族の会 岩手県支部長)が登壇。小野寺氏は岩手県陸前高田市を例に、当時の被災地での医療と介護の現場の状況を語りました。現場の臨場感が伝わる貴重なお話の中でも、特に印象深かったエピソードをご紹介します。小野寺氏の発言をもとに要約した内容であることをご理解ください。
混乱する被災地。場所も人手も足りなかった。
高田市で指定されていた最大の避難所は高田第一中学校。1400人を受け入れることができましたが、到底足りませんでした。市内にある特別養護老人ホーム「高寿園」は高台に位置していることもあり津波の被害は受けていませんでした。入所者は300人ほどだった施設に、700人の被災者が駆け込みました。4人部屋を8人で過ごすことになり、廊下にまで人が敷き詰まって横になっている状態でした。被災者の移転が開始するまで約3ヶ月間、そのまま入居することになった要介護者を除く被災者の大半が施設から移転までの約6ヶ月間、施設の看護師や介護スタッフはめまぐるしく対応にあたっていました。24時間不眠不休で対応する日が続くことも珍しくありません。体力の限界を向かえながらも目には力がありました。支えようという気持ちに夢中になっていたように感じました。医療については、神奈川県の青山会の医療チームがかけつけるなど県外から協力に支えられました。このような心の通った連携により、津波で亡くなった認知症患者、要介護者の方はいましたが、福祉避難所で亡くなった人一人もいませんでした。
津波てんでんこ
“津波てんでんこ”という言葉をご存知でしょうか?「取るものも取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へ逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という意味です。当時、デイサービスから帰ってくる妻を待つ夫が津波に流され命を失いました。デイサービスにいた妻は無事でしたが、要介護者が夫の支えなしで生きていくこは困難です。この出来事から学べることは「とにかく逃げる」ということです。津波てんでんこを徹底するには万全に準備しておくことが重要です。
震災(津波)が起こる前にどういった準備をすべきなのか
第一に高台に上る道を事前に確認しておくことです。その際、職場、自宅、介護施設など、時間帯ごとに過ごす場所から高台の経路を確認しておく必要があります。通る道を実際に予行練習しておいてください。
津波が起きてしまったときにどういった対応をすべきなのか
津波がくると知らされたら、何メートルか気にする前にまずは逃げることです。非難勧告では2~3メートルということで、様子をみたところ実際には17mの大津波が襲った地域もあります。津波は最大で20mまで到達しました。誤報ということで裁判になりましたが、正確に観測することは難しいという認識をもち、とにかく「すぐに逃げる行動」を選択することが大切です。